スーパースターと呼ばれる人物はこれまれで星の数ほどいた。ただし、”地球的スーパースター”の冠がつく者はこの人のほかはいないだろう。2009年6月に未だはっきりとしない謎の死を遂げて以降も、伝説として語り継がれるミュージシャン、マイケル・ジャクソン。

週プレは、史上最も売れたアルバムとしてギネス記録に認定された『Thriller』が発売された翌年の1984年、偶然の幸運から彼の自宅でひと時を共にした。その一部始終を記事から抜粋してまとめてみよう。

そもそものきっかけは、兄であるジャッキー・ジャクソンの取材のためアメリカに渡った記者が、マイケルの自宅に招かれたことから始まる。

CBSからもらったスーパースターの住所にさしかかると、たちまちフロント・ガラスの視野から飛び出してしまう、とてつもなく大きなゲートが現れた。(中略)

「ジャッキーにアポイントをとってある」

インターフォンを押すと、開けゴマ、ゲートがカリフォルニアの午後の光を照り返して、しずしず開いた。クルマで入る。英国では、門から玄関までの距離が1マイルあれば「邸」と称するが、マイケルの家も、諸君よ、まぎれもない「邸」なのだ。(中略)

「ジャパニーズ・ボーイ。ラッキーだぜ。今日はみんな来てる」と、こいつとは絶対にケンカしたくない巨体の黒人ガードマンが、祝福してくれた。

ジャクソン5時代の1972年に建てた英国チューダー王朝風の豪邸に、マイケルは両親と姉のラ・トーヤ、妹のジャネットの5人で住んでいた。記者が車から降りて先に進むと、ペットとして飼っているある動物に遭遇した。

「ギエーッ」と、ボクは叫んだ。巨大なライオンが昼寝していたのだ。傍にいた2人の調教師が笑って指さした。ライオンの首は100トンの船の碇のような太いチェーンで繋がれていた。スーパースターのペットはライオンである。

 

自宅に併設されたスタジオでジャッキーと合流してリビングに案内されると、壁にはファンから貰ったマイケルとラ・トーヤを描いた縦横2メートルはある油絵が飾られていた。その絵を眺めながら雑談していると、向こうのドアからスラッとした小柄の男が現れた。

赤のカーディガン、黒のパンツ。小さな声をあげた。それが、地球上最高のスーパースター、全世界のギャルの憧れの的、マイケル・ジャクソンだった。

ジャッキーが言葉を続ける。

「マイケル、日本から、わざわざインタビューに来てくれたんだよ。キミィ、いつまで『スリラー』みたいな顔してるの?」

僕の顔面は硬直していたらしいのだ。ゾンビみたいに見えたらしい。(中略)。「ハーイ」と手を振った。マイケルも人なつこいあの瞳で「ハーイ」と答える。とてもシャイ。とても控えめ。美貌にすぎるが、この「礼儀正しい普通の青年」が、ステージに立つと、どこからどうして、マジカルなパワーを噴出させるのだろうか。

「あとで……」と、マイケルが兄のジャッキーに小声でいう。そして去った。兄に何か用事があったのではないか。いますましてくれていいのにというと、ジャッキーが答えた。

「マイケルは、そういうやつなんだよ」

広大な庭では、ジェーン・フォンダやセルジオ・メンデスなどのゲストを招いてパーティが開かれていた。記者もその輪に加わった。

マイケルは、枝を広げて日陰をつくっている木の下で、ジェーン・フォンダと会話してる。(中略)。ふたりを見て、ジャネット。

「マイケルは経験豊富な方が好きなんですって、才能を持った人、熱心で勇気を持っている人、その分野でリーダーになった人々ね。そんな方と話したり学んだりすると、マイケルの言葉では”魔法にかかったみたい”なんですって」

取材を終えた記者は帰りのゲートで、あの巨体なガードマンからの問いかけに次のように答えて記事は結ばれた。

「どうだった?」

「男の夢の城だったよ」

ガードマンは、白い歯を見せて笑った。そうだろう、と。
1984年11月20日号

*本記事の引用文は掲載当時のままで使用しております。

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