週刊プレイボーイはグラビアだけでなく、インタビューや密着ルポなどを通して旬なアイドルの生の声を伝えてきた。今回は1970年代に“元祖・グラビアクイーン”として絶大な人気を誇り、いまなおその伝説が語り継がれるアグネス・ラムの初インタビューをお届けします。

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12万枚の応募はがきが殺到

南太平洋を越えて届けられた声は、喜びにあふれていた。

声の主はアグネス・ラム。元祖・グラビアクイーンと呼ばれ、日本中に空前の一大ブームを巻き起こした、ハワイ出身の中国系アメリカ人モデルだ。

1975年、18才の頃に日本でタレント活動を開始。同年11月にトリートメント剤のCMに出演すると親しみやすい東洋系の顔立ちと抜群のスタイルで大きな話題に。新年を迎える頃には一躍、時の人になっていた。

週プレでは1976年2月にグラビア初登場。その際、水着ポスター50枚のプレゼントを告知すると12万枚もの応募はがきが殺到した。過熱する人気の中、彼女が暮らすハワイへの国際電話による初インタビューが実現したのがこの記事だ。ハワイ時間午後2時の昼下がり。電話越しにアグネスの明るい声が聞こえてきた。

 

――ハロー! アグネス?

アグネス「イエース。コンニチワ!」

――おや、アグネスは日本語できるの?

アグネス「4つぐらいね。コンニチワ、オハヨウ、サヨナラ。それから撮影のときの、チョット、待ッテネ」

――日本ではアグネスの人気がすごいよ。キミのポスターを、日本の12万人の若い男性が希望してきた。どうする?

アグネス「ホントですか! 私はとってもハッピーね。そんなに愛されているって想像もしませんでした。でも、悲しいわ」

――えっ、どうして?

アグネス「だってエメロンのCM、こちらでは見られませんから」

インタビューの内容は、名前の由来から、家族のこと、普段の生活、趣味、恋人の有無やスリーサイズまで多岐にわたった。どの質問に対しても、アグネスは気取ることなく答えてくれた。

――アグネスはボーイフレンドはいる?

アグネス「いる。サーフィンが得意なコ」

――恋人は?

アグネス「まだ……」

(中略)

――サイズはL170、B87、W60、H88(注:正しくはL156、B90、W55、H92)だけど、バストが強烈だね。ヤシの実か、パパイヤのようで……

アグネス「そんなかしら。お友達にはもっと大きなコがいる。小さい頃、観光客の人に〝一緒に写真をとってください〟なんていわれて、ハイスクール2年の時に、〝ミス・カイオア・ハイスクール〟に選ばれたことあるけど、自分じゃ別にビューティとは思わないんです」

 

ハワイ以外の生活は考えられない

当時、すでにCM業界をはじめ、多方面から注目を集めていたアグネス。しかしハワイを離れ、日本で暮らしながら活動する考えはなかったという。インタビューの合間には、初来日時のエピソードが綴られている。

 昨年11月、憧れの日本に撮影に来た。人間とクルマが多いのに呆れた。東京・赤坂見付から地下鉄に乗ったら、息ができなくって、気分が悪くなった。奈良漬、シバ漬け、それにヌタがおいしかったけれど、都会は好きじゃない。パリも、ニューヨークも、ロンドンも嫌い。それからコカコーラの仕事でアラスカに行ったけど、寒い国も好きじゃない。ハワイに生まれて、ハワイで育ち、ハワイ以外の生活は考えられない。

 そしてインタビューのラスト。人気絶頂の彼女の口からは、意外な夢が語られた。

――じゃ、アギー(注:アグネスの愛称)。モデルの仕事、頑張ってね。

アグネス「ありがとう。でも私の夢はね。モデルをやめて、カウアイ島に山荘をたてて、マリッジして、父と母と一緒に暮らすことなんです」

 

以降、彼女はあらゆる雑誌のグラビアを飾り、一時期は7業種9社のCMに出演。歌手や女優としても活動するなど大活躍した後、1983年に引退。1975年の初来日から、わずか9年間の芸能活動だった。

引退後の1986年には、中学の頃から憧れていた幼なじみの先輩と結婚し、翌年には双子を出産。1996年、子供たちと出演したクルマのCMを最後に彼女はその姿を公の場では見せていないが、その後も人気は衰えることなく、むしろ高まるばかり。過去に出した写真集やポスターなどがネットや古書店にて高値で取引されている。

日本中を虜にし、いまなお記憶に残る彼女の純真無垢な素顔が、このインタビューに刻まれている。

*記事の引用文は掲載当時のままで使用しております。
週刊プレイボーイ1976年3月9日号掲載

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